りんご豆知識

カネショウのハチミツ入りんご酢、樽熟りんご酢をはじめ、当社の商品に非常に多く使われている中心的原料の「林檎(津軽りんご)」ですが、皆さんはどの程度その「りんご」についてご存知ですか?

実は以外と知らないことが多いと思います。知ってビックリの事柄が色々ありますので、雑学的に読んでみて下さい。

りんごはなぜ「りんご」と言うのですか?

徳川時代の初期の儒学者(孔子や孟子の教えを説いた学者)林羅山の「多識編」の中にその語源が書いてあって、一つの説は、中国の唐の字が時代に、宋李謹という人がおり、彼が川に流れ着いた枝を植えたところ、五つの色の美しいりんごになったので、当時の唐の皇帝に献上した。皇帝はとても喜び、彼を上の位の「文林郎(秘書官のこと)」の位につけました。それから、りんごは「文林郎果」と呼ばれるようになったという説があります。

もう一つの説は、「衆禽(たくさんの鳥」が好んで食べる林の中の美味しい実のなる樹ということで「林檎」とつけられたという説があります。

りんごの名前はどうやってつけるのですか?

普通は新しい品種を作った人がつけます。試験場などで育成した新品種は、沢山の人から名前を応募してもらい、その中から良い名前を付けることが多くなりました。

ただ、最近は商標登録の制度があるため、よいと思った名前を商標登録しておくと、他の人は登録した名を付けることができません。

りんごはいつどこで生まれたのですか?

トルコの北東部にあるカフカス山脈から中東のトルキスタン地域を経て、中国・ 新疆(しんきょう)ウイグルの地区のタクラマカン砂漠の北にある天山山脈に至る一帯が、りんごの原産地と言われています。

紀元前6500年には、イスラエルやエジプトでは、りんごの遺物が発見されているそうですから、今から少なくとも8500年以上前には、りんごがあったことになります。

日本にはいつ頃りんごがやってきたの?

日本には、中国から平安時代~鎌倉時代にりんごが入ってきたと言われていますが、近畿地方で作り始められたと言われています。

現在でも、奈良市の春日大社の拝殿と本殿の間に「倭林檎(わりんご)」の「林檎の庭」があるそうです。 また、青森県に林檎がいつ入ってきたのは、はっきりしていませんが、江戸時代の津軽藩の日記には時々「和りんご」や「りんき(小玉りんご)」などの、りんごの名前が見られるので、おそらく今から350年くらい前にはすでにあったものと思われます。

現在私達が食べている西洋りんご(大玉りんご)は、明治8年に政府から青森県に配布された3本の苗木が始まりで、明治10年には始めて3個のりんごが弘前市在府町で実りました。

青森県はなぜ日本一のりんごの産地になったのですか?

気象的にりんごの適地と言えることです。

また、優れたりんごの指導者が各地に輩出し、地域産業を盛んにしたことがあげられます。

長いこと消費者に好まれた「国光」や「紅玉」の最も適した産地(特に南部地方)でもあり、「スターキング」や「ふじ」といった良品が数多く生産されたことも、りんご王国と言われる由縁です。

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